幸せに生きるための、たった1000のこと

〜幸せのヒントブログ〜

「それを言っちゃーおしまいよ」な幸せと不幸

【1000個中の 765個目】

 

こんにちは! 研究者せしおです。

ユヴァル・ノア・ハラリ著の「サピエンス全史」の読書感想文。

12月ごろからちょくちょく投稿していました。

ホモ・サピエンスの神秘的なところや残酷なところなど。

 

 

さらに読み進めていく中で、中世ヨーロッパの帝国主義や宗教など馴染みのない話題に。

読むペースが鈍り、今に至ります。

ようやく最後の方になり、馴染みのある人類の幸せの話が出てきたので、取り上げてみたいと思います。

 

 

本書の中で、幸せに対して、いくつかの切り口が紹介されていました。

その中で最も「それを言っちゃーおしまいよ」な内容を今回は取り上げます。

 

 

「化学から見た幸福」が書かれた章から。

化学的には、幸せはセロトニンやドーパミンやオキシトシンのような生化学物質などの効果である。

そして、幸せは主観的なものである。

現代は狩猟採集時代や中世の時代に比べて、客観的には食糧にも困っていないし、命の危険も感じていない。

しかし、その客観的事実が、現代人は昔の人よりも幸福だったという証拠にはならない。

 

 

次に登場するのが、「それを言っちゃーおしまいよ」な話。

幸せの水準は遺伝的にプログラムされている。

幸福度を10段階とすると、たとえば8くらいにプログラムされている人は、6〜10の間で行ったり来たり。

5くらいの人は3〜7の間で行ったり来たり。

 

 

客観的に良いことや悪いことが起きても、主観的にはその状況に慣れていき、幸福感は調整される。

その人の中でプログラムされた幸福感に落ち着く。

つまり、幸せは遺伝的に決まっているという捉え方。

 

 

生存率が高かったのは、心配症な遺伝子。

それらが引き継がれていった現代人は、心配症な人が多い。

客観的に環境が改善されても心配症なままであって、幸福感に包まれて満足することはない。

 

 

極端に劣悪な環境でなければ、環境によらず遺伝的に幸せな人は幸せで、不幸な人は不幸。

宝くじに当たっても、大怪我や病気をしても、しばらく経てば同じような幸福度になる。

 

 

まさに、それを言っちゃーおしまいよ。

幸せのヒントをたくさん知っていても知らなくても、幸せな人は幸せなままだし、不幸な人は不幸なまま。

このブログの存在意義に関わるような考え方です。

 

 

この考え方に100%同意ではないですが、そういった側面は少なからずあるように思えてきちゃいました。

僕のこれまでの人生を振り返ってみても、出来事として多少の山谷はありましたが、ずっとそれなりに幸せだったような気がします。

僕が幸せなのは、たまたまそのようにプログラムされて生まれてきたから。

そういう側面もあるのかもしれません。

 

 

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半分満足して幸福感を感じつつ、半分は不満足で改善を続ける原動力にする。

このブログで何回か紹介してきた考え方です。

僕はそもそもそういうようにプログラムされているのかもしれません。

 

 

人間関係やお金など、遺伝の他にも幸せに関係するであろう因子はたくさんあります。

でも、それらはきっかけや理由づけにすぎず、実際はそれらはどうあれ遺伝的に幸せが決まっている側面も否定しきれない。

同じような人間関係でも給料でも、満足できる人もいれば、そうでない人もいる。

その違いは遺伝の影響によるところが大きい?!

 

 

本人の努力によって幸せに近づくことができるというのが、一般的な教えかと思います。

そういう教えを、人々は求めているのかもしれません。

 

 

一方で、幸せは遺伝であるという、ある意味で残酷な説。

この説を広めたい人も、聞きたい人も少ないからあまり知られていないだけのかもしれません。

 

 

僕はこれまでに聞いたことあったにも関わらず、考えないようにしてきたようにも思います。

まだ消化しきれてませんが、幸せを考える上での1つの側面として覚えておこうと思います。

 

 

以上です。

今日も最高の一日を!