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こんにちは! 研究者せしおです。
幸せのヒントを書いているつもりのブログです。
とはいえ、幸せというフワッとしていて主観的なものを言語化するのも野暮って思う時もありそうです。
物事を考える時には、たいてい言語を使います。
物事のすべてを言語で捉えられているわけではないはずなのですが。
すべてどころか、ほとんどは雰囲気や直感や流れみたいなもので物事を捉えているような気さえします。
僕は幸せに生きているつもりなのですが、「僕は幸せです」と発言すると、幸せというものが少しゆがむ気もします。
「幸せですか?」と聞くのも、少し野暮な気がします。
その質問に答えることで、何も考えずに幸せだったのに、他者との比較に陥ったりすることもあるかもしれません。
考えすぎかもしれませんが。
↑ ヤホ国立公園(?)。野暮で検索したら出てきました。ハハハ。
言語化するということも、一長一短ありそうです。
何も言語化しなければ、考えが深まらなかったり伝わらなかったりと、不都合はたくさんありそうです。
一方で、すべて言語化しようとすると、失ったり歪んだりすることもありそうです。
そういう言葉の性質についても、頭の片隅に入れつつ、言葉をつづっていけたらと思います。
以上です。
今日も最高の一日を!