【1042個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読み始めました。
なかなか素敵なタイトル。
まだ序盤ですが、読みやすく、なかなか面白そうです。
序章前半の内容の僕なりにまとめてみます。
社会を豊かにしようと努力する時、そこには使命感を持って打ち込むべきものがあり、人々は幸せである。
社会が豊かになると、打ち込むべきものがなくなり、人々は不幸になる。
というようなことを、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)が書物の中で述べた。
豊かになることで不幸になる構造なのであれば、何かがおかしい。
金銭的や時間的な余裕がない状態では、余裕を手にできた暁には自分の好きなことをやろうと思うかもしれない。
しかし、実際に金銭的や時間的な余裕を手にした人々は、テレビや広告などから与えられた娯楽を消費しているように見える。
豊かになると打ち込むことがなくなり、余裕が出ると他者によって作り出された娯楽に興じる。
私たちは、余裕を得た暁にかなえたい何かを持っていたのか?
ここからは僕の話。
本の出だしの部分は、現状の課題を書いてあることが多く、共感することが多いです。
本書もその通りと思いました。
↑ 3分とじっとしていられないかもしれません。
本書にあるように、社会課題があって、それを改善しようとする試みには意味を感じられる気がします。
そういう意味でも、僕は研究にやる意味を感じているように思います。
一方で、それを達成した世の中で何をしたいのかと問われれば、特に思いつきません。
また課題を見つけて改善しようと努力し続ける気がします。
そういうものなのかもしれませんが、何かがおかしいと感じなくもないです。
本当に豊かになったのであれば、ただ幸せに暮らすということに、もう少しフォーカスしてもいいような気がしました。
そうでなければ、改善することに意味が発生しませんから。
本書を読み進めて、また思うところがあれば都度都度紹介したいと思います。
哲学的な考察は好物です。
ハハハ。
以上です。
今日も最高の一日を!