幸せに生きるための、たった1000のこと

〜幸せのヒントブログ〜

定住という常識

【1051個目】

 

こんにちは! 研究者せしおです。

 

 

哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。

まずは、本の内容から。

 

 

ほとんどの現代人は定住している。

つまり、自分の家があって、そこに住んでいる。

人間(人類)は定住することが常識だと思っている。

 

 

狩猟採集時代(およそ数百万年前〜一万年前)、ほとんどの人類は移動しながら生活していた。

定住を望んだができなかったわけではなく、移動することが常識であり、習慣であったはず。

環境の変化により、定住せざるを得なくなり、定住をはじめた(という説)。

 

 

人間は移動する暮らしに適しているため、定住ができなくても不思議ではない。

排泄物やゴミはそのままにしていても、移動した後に環境が浄化してくれていた。

 

 

トイレで用を足すこと、家の掃除をすることは当たり前のことではない。

赤ちゃんは3歳や4歳までオムツを必要とするし、掃除が苦手な大人はたくさんいる。

これらは人間の特性として、当たり前のことである。

 

 

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↑ 人類史上で家があるというのはつい最近のことのようです。

 

 

ここからは僕の話。

定住するようになり、暇や退屈な時間が多くなったという内容だったのですが、それ以前に定住が当たり前のことではないという捉え方が新鮮でした。

移動する生活の方が、毎日が違うことの連続で、人間の能力をふんだんに使えて幸せだったのかもしれません。

 

 

生活スタイルがこんなにも大きく変わったのに、現代のスタイルに対応できる人間の学習能力は素晴らしいものと思います。

一方で、少し無理をしているという点も頭に入れておきたいと思いました。

 

 

以上です。

今日も最高の一日を!