【1057個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。
まずは、本の内容から。
消費社会で、僕達はある意味で我慢させられている。
消費は満足をもたらさない。
満足されては困るからだ。
消費を繰り返し行うサイクルに閉じ込められている。
食べ物を食べることには限界があるが、消費には限界がないから、延々と繰り返される。
繰り返されるのに、満足がもたらされないから、次第に過剰になっていく。
ここからは僕の話。
ビジネスの文脈では顧客満足というのは意識されているイメージでした。
その顧客満足というのは、一時的なものなのかもしれないと、この本を読みながら思いました。
おそらく、あえて一時的な満足しかさせないようにしようとしているわけではないと思います。
それでも、売れるものを狙って作った結果、一時的な満足をもたらす商品がほとんどとなったのだと推測します。
↑ 物流倉庫は自動化され、消費社会を加速しているのですかね。
僕の勝手なイメージでは、消費社会は誰かが意図して作ったものではなく、お金の特性によって勝手にそう育ったと思ってます。
社会の仕組みというのは、そういうものだと思います。
人間が作ったものでありながら、人間に制御することができないものというイメージです。
それでも、少しずつは修正して、少しずつ良くなると期待したいところです。
ただ、ChatGPTのようにテクノロジーの進化が複雑に絡み合うと、良くなる前に新たな課題が生まれるところが厄介に感じます。
時代の変化がゆっくりであれば、改善が追いつくのかもしれませんが、ゆっくりになる気配がありません。
一時的な満足の話に戻ると、一個人としては、消費のサイクルから離脱することはできる気がします。
でもそれは、僕がお金を使うという行為が苦手だからかもしれません。
以上です。
今日も最高の一日を!