【1063個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。
まずは、本の内容から。
待ち時間、何もしない退屈な時間。
それとは別に、パーティーのように人と話したり楽しい時間を過ごしたはずなのに、どこか退屈な時間だったと振り返ることもある。
ここからは僕の話。
暇ではない退屈の典型的な例かと思います。
何かをやっているけど、どこかむなしい時間。
意味を見出せないのか、つまらないのか。
はっきりはしないけど、退屈な時間。
そのような時間は、何もすることがなくて退屈な時間よりもたくさん溢れかえっているような気もします。
ビジネス書界隈では、数年前に「ブルシット・ジョブ」という言葉が流行りました。
訳すと、「クソどうでもいい仕事」。
まずまずの言葉の汚さがウケたのかもしれません。
どこの国でも、意味の感じられない仕事はたくさんあるようです。
むしろ、その退屈さに目を向けず、こなしている印象すらあります。
目を向けたら、退屈してしまうから。
だからこそ、そこを言い当てた本が流行ったりするのでしょうかね。
↑ あまり知らない人のいるパーティーや飲み会は苦手です、とても。
新年度始まりました。
意味の感じられない仕事が溢れていることに、まずは気づきたい。
気づくことで、それまでは退屈でなかった仕事を退屈なものにする。
そして、それらを少しでも減らし、意味のある仕事や興味を持てる仕事を少しでも増やす。
理想的には、このような流れのはず。
うまくいくかどうかは別として。
副作用としては、意味のない仕事に気づいてしまったが、それを変えられない。
そういうことも多々発生しそう。。。
取り扱い注意です。
ハハハ。
以上です。
今日も最高の一日を!