【1067個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。
その中で、人間は自由があるから退屈するという説が出てきました。
僕なりの解釈です。
たとえば退屈な会議。
心の声「こんな会議に参加せずに、自分の仕事を進めていれば方がよかった。」
たとえば退屈な飲み会。
心の声「こんな飲み会に参加せずに、家に帰って家族と過ごしてた方がよかった。」
他の選択肢(自由)があるというこで、もっと良い選択ができたのではないかというような後悔を生んだりします。
その対比の中で、退屈やつまらないや有用でないといった感覚が生まれているのかもしれません。
それしか選択肢がなければ、それに集中できるということもあると思いました。
↑ 分かれ道があるより、一本道の方が楽な時もあります。
退屈をなくすためには、自由を少なくする必要がある。
そして、自由を少なくするために行われる行為の1つが決断。
決断とは常に根拠がないもの。
人間の認知には限界があるので、全貌がわかっていないのに決断をすることになりますから。
この根拠のない決断こそが、退屈から抜け出すヒント。
なかなか皮肉な話です。
そして、その決断の先に待っているものとは。
それはまた別の機会に。
以上です。
今日も最高の一日を!