【1069個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
引き続き、哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。
まずは、本の内容から。
自由があるから退屈する。
決断すれば、自由がなくなるが退屈しなくて良くなる(かもしれない)。
たとえば、将来を思い悩む時。
自分に何ができるかなどを考えるのは苦しい。
何をしていいかわからない。
そんな時に聞こえる「資格を取ると安心」という世間の声。
そして、資格を取るという決断をする。
勉強を始める。
周りの人は褒めてくれる。
資格を取るという決断すれば、ある意味では楽になる。
退屈を避けるために、好きでもない資格勉強に励むという構図である。
(資格取得自体が悪いことということではないです。あしからず。)
↑ 読書をしていれば安心と思う心は、僕の中にありそうです。
ここからは僕の話。
決断にも色々とあると思いますが、本書で扱っている決断は、退屈を避けるために消極的に行う決断のような気がしています。
たとえば、暇だからリコメンドされた動画を視聴するような。
本書の著者は、退屈を埋めるために商材に時間やお金を奪われるようなことに違和感を抱いているようです。
奴隷という表現で書かれています。
何をしてよいかわからず、奴隷となるような決断をしてしまう社会システムを批判的に見ているようです。
そういう側面もあると思いますが、個人の視点では、それが楽しいのであればそれはそれでいいような気もします。
かけるお金や時間など、程度の問題かもしれません。
本書も終盤です。
著者の結論を最後の方まで書かない珍しいスタイルみたいなので、続きが気になっています。
以上です。
今日も最高の一日を!