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何事も一長一短です。
愛することにも副作用があると思います。
今日は、せしおの愛情論です。
こんにちは!研究者せしおです。
人生の役に立つかもしれない幸せのヒントを、今日も1つお届けします。
何かに愛情を持つことはすばらしいことだと思います。
パートナーのために、子供のために、地球のために。
無償の愛。
自分を鼓舞しなくても、自然と努力できたりします。
愛情は良いことばかりではありません。
強すぎると失うことが恐くなったり、
愛する人以外に攻撃的になったりします。
ヒナを持つ親鳥が攻撃的になったり、
愛国者が他国に攻撃的になったり、
阪神ファンが巨人に攻撃的になったりします(笑)
愛情がゆえに争いごとが始まることが多いと思います。
愛情の副作用ですね。
テレビドラマや映画なんかでは、愛するもののために自分を犠牲にすることが感動を呼んだりします。
ひねくれて考えると視聴率のための戦略のようにも感じます。
愛情ゆえの犠牲→感動→視聴率、みたいな。
ほとんどの場合は騙されて感動してしまいますが、たまーになんだか違和感。
何かを守るために誰かが犠牲になる。
これも愛情の副作用ですかね。
冷静に考えれば、犠牲になるよりも良い方法があることが多いのでは。
誤解を恐れずに言うと、自己犠牲は自己満足的な気もします。
僕は弱い人間だという自覚があるからか、争いごとが苦手です。
しがらみも苦手ですし、自分も誰かのしがらみになるのも苦手です。
犠牲にもなりたくない。
家族とは支え合って生きていますが、依存しすぎないように、一定の距離を保っているような気もします。
家族4人で一緒の空間にいながら、それぞれで楽しんでいる時間も多いです。
親は本を読み、長男坊はゲーム、次男坊は工作、みたいな感じです。
それでいてお互いが大好き。
重たい好きより、軽い好きでありたいのかもしれません。
軽い大好きといった感じでしょうか。
子供たち(10歳と5歳)を毎日かわいがっていますが、わがままな願いはあまり叶えようとしていない気がします。
家族の誰かが犠牲になるようなことはしないことが基本です。
親が犠牲になったたり、お兄ちゃんが犠牲になったりが極力ないように。
そうすることで、愛情による副作用も小さくなるのではないかと思ったりします。
(わがままに従いたくない言い訳?!)
自分を犠牲にしてでも愛する人のために尽くす。
これはあまりおすすめしません。
余裕の範囲内で大好きな人を幸せにしようとしてみる。
このぐらいが僕のおすすめです。
本日のおさらい
重たい愛情ではなく、軽い大好きで生きてみる。
以上です。
今日も最高の一日を!
この記事の甘い自己評価:⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
(僕の愛情論。微妙なニュアンスを言葉にするのが難しかった。)