【1125個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
年末年始休みの間に、実家から借りた本を読みました。
平野啓一郎さんの「本心」(文春文庫)という本です。
2040年代、母子家庭で育ち、その母を亡くした一人の青年の物語。
AIやVR技術によって母を再現し、その悲しみと孤独の慰めを得ようとします。
母は事故死でしたが、生前に「自由死」(本の設定では近未来に合法化された安楽死のようなもの)を願い続けていました。
そして、青年は母の「自由死」に反対し続けていました。
母の死後も「自由死」を望んだ母の「本心」を探ろうとします。
母の知らなかった事実がわかってきたりしつつ、本心とは何かを考えさせられる作品でした。
ここからは、僕の話。
本心とは、本当の心という意味でしょうか。
自分の本心すらわかったようでわからないのに、自分以外の人の本心なんてわからないとは思います。
とはいえ、全くわからないわけでもないはずです。
完全にわかると、全くわからないの間なのだと思います。
当たり前ですが。
その幅の中で、事実や言動からいくらか本心に迫りつつ、最後は想像するような感じになりますかね。
生きているのであれば、直接確認することもできます。
本心で答えてくれるかは別として。
↑ 心のイメージってなんでハート型なんでしょうかね。
それより、クッキー食べたい。ハハハ。
本当の心とは。
本当の前に、心というものが曖昧に感じます。
人間は何かが起きれば、リアクション的に何かを感じて、何かの行動を起こします。
例えば、知り合いにばったり会えば、その人が好きか苦手かを瞬時に判断して挨拶の言葉を選んだりします。
その知り合いについて、普段から考えているわけではなく、たまたま会ったから心が反応する。
それによって、好きや苦手に気づく。
そんなことも多い気がします。
心というものは、意識というより、無意識の中にたくさん存在しているような気がしてきました。
そして、普段の経験や思考の積み重ねによって、その心は育っているのかもしれません。
積み重ねを大事にしたいです。
このブログで嘘や偽りを書いているつもりはないので、本心と言えば本心でしょうかね。
でも、全てを語っているわけでもないので、それは本心と言えるのか。
断片的な本心といったところでしょうか。
つかみどころも見つからぬまま、今回はこの辺で。
ハハハ。
今日も最高の一日を!