【1132個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
とある小説を読んでいたら、正義と悪がぶつかっていました。
主人公側はお客さんを優先する考え、相手側は金儲けや出世を優先する考えでした。
主人公側が劣勢だったところから、逆転して最後には勝つというストーリーでした。
主人公側も相手側も、「正義は我にあり」という考え方を持っているようで、少し違和感がありました。
人間は分類したがる生き物と捉えています。
味方と敵、正義と悪というのが、最も典型的な分類の1つかと思います。
過酷な環境においては、団結するために重要な考え方なのかもしれません。
とはいえ、打ち負かすための団結は、少し怖い感じがします。
分類したがるのは仕方ないとすると、僕としてはたくさんの角度からたくさん分類するのが良いかなと思います。
AさんとBさんは、あの時は敵だけど、この時は味方とかそういう形。
実際に仕事で、敵のような立場の人が、数年後に味方のような立場になるようなことは度々あります。
そんな時は、敵同士の立場だった頃に、一定の礼儀を持って接していて良かったと思うことがあります。
たくさん分類することで、相手を極端に下に見たり、逆に尊敬しすぎたりしにくくなると思います。
そうすることで、極端に怒ったり怒られたりの怖いシーンが少なくならないかなーとなんとなく思います。
↑ 僕は理系ですが、理系と文系の分類も全く違うようで重なっている部分もたくさんある気がします。
学問は、物理や化学や哲学など分類がされています。
化学の中でも有機化学や無機化学や化学工学などなどたくさんあります。
古代や中世の頃はそれほど分類は進んでおらず、近代に分類が進んできた印象です。
レオナルドダビンチさんなどは、近代のいわゆる学問にもアートにも多彩な才能を発揮しておられます。
分類が少なかったのも、それを成せた1つの理由かと思います。
現代に生まれていたら、何か1つに特化していたかもしれません。
最近は学問を横断的に理解することで新たな発見を目指したり、そこにAI技術を使っていこうという動きもあるように感じています。
時に分類してみたり、時に統合してみたりするのも面白いかもしれません。
以上です。
今日も最高の一日を!