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こんにちは! 研究者せしおです。
僕は残念ながら、誰かを批判したくなったり、共感できない時があります。
自分が相手の立場だったらそんなことはしない、そうは思わないだろうと考えているからなのかなと推察します。
自分のことなのに、いつも推察です。
ハハハ。
相手の立場に立つという意味には、段階があるように思います。
相手を批判したくなるような時は、おそらく自分は自分の性格や価値観のまま、相手の立場に立っているのだと思います。
僕だったらそうはしない、というような感覚。
相手の性格や価値観に、もしなりきることができるのであれば、原理的には相手と同じことを考えられるはずです。
たとえば、生まれつき音に敏感な人と鈍感な人がいたとします。
敏感な人はちょっとした騒音があると集中できないので、近くて人がしゃべっていると静かにしてほしいと不満を言う。
その音量は迷惑ですという感覚なのかもしれません。
一方で、鈍感な人はこのぐらいの騒音では集中力に影響がなく、コミュニケーションは大事だとそこら中で立ち話をする。
このぐらいの音量は我慢できるはずという感覚なのかもしれません。
お互い悪気はなく、どちらが絶対的に正しいというわけでもない。
自分の感覚で相手の立場だったらしてほしいこと、我慢してほしいことを要求しているだけ。
こういう構図は世の中に溢れまくっていると思います。
相手の立場になることは、とても難しく、奥の深いことだと思います。
そもそもの目的が人によって違ったりもしますし。
たとえ同じ会社の中であっても、利益を得るという共通の目的に一致団結できるわけではないと感じます。
部門の存続、平穏に一日が終わること、自分の存在意義の確保。
人それぞれ、目的が異なったり、優先順位が異なったりしているように感じます。
↑ ゲームでもスポーツでも、相手の立場になって次の一手を考えることは、なかなかできません。
自分が相手の立場になりきれないことと同じく、他者も自分(僕)の立場になりきれないことが多いのだと思います。
自分のことに精一杯で、そもそも他者のことを深く考えていないのが、人間の通常状態かと思います。
理解してもらえなくて寂しい思いはしますが、基本的にはそういうものだと僕は割り切っているような気がします。
目の前にいる人は、異なる価値観や経験や目的を持ってそこにいる。
そして、お互いに自分のことで精一杯(なことが多い)。
そのことをいつも忘れてしまいがちです。
この記事を書くことで、僕自身、なんとか頭の片隅ぐらいには残せないものですかね。
ハハハ。
以上です。
今日も最高の一日を!