【1053個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。
まずは、本の内容から。
暇とは、何もすることのない時間。
客観的な条件。
退屈とは、何かをしたいのにできないという感情や気分。
主観的な状態。
とはいうものの、ひまじん(暇人)という言葉はバカにする意味を含み、暇だという言葉は自慢には使わない。
要するに、暇という言葉は評判が悪い。
歴史を遡ると、暇な階級というものがあり、裕福な階級であった。
暇ということは余裕があるということである。
暇は自慢でもあった。
産業革命が起き、階級制度が崩壊。
消費をすることが裕福である証、ステータスとなっていった。
ここからは僕の話。
暇というのは余裕があるということでもあるはずですが、現代ではあまり良い意味では使われていない印象です。
暇とは必ずしも関係ないかもしれませんが、仕事のメールなどのレスポンスの良い人は好印象です。
忙しさとは必ずしも関係ないかもしれませんが、レスポンスの悪い人は少し悪印象です。
僕自身は、そこそこレスポンスの良いくらいを目指している気がします。
レスポンス良すぎても重荷な感じもするので、メールなどは適度に早く返すように心がけています。
私生活ではメールためがちです。
ハハハ。
↑ メールやチャットって便利ですが、手紙のように往復に時間がかかったら、もっとゆったり仕事ができる気もします。
退屈というのは、暇よりも悪いイメージです。
感情や気分とあるように、つまらないとかイライラとかと結びついているように思います。
スマホの存在により、暇つぶしはできてしまい、退屈な時間は少なくなった気がします。
良いことのようで、なにか違う気もします。
退屈を避けたいがために、そんなにやりたくないことをやったり、無理矢理やりたいことを探したり。
なにか違う気がします。
改めて考えるとなにか違う気がしますが、普段は当たり前にそうやって過ごしている気がします。
以上です。
今日も最高の一日を!