【1055個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。
まずは、本の内容から。
労働の時間と余暇の時間。
労働は生産的活動をする時間であり、次第に忙しくしなければいけない時間となった。
一方で、余暇は非生産的活動をする時間となり、次第に何かをしなければいけない時間となった。
ここからは僕の話。
なかなか直球でズバッとくる内容でした。
労働では忙しいことが自慢になり得ますし、余暇は何かをしていることが自慢になり得ると思います。
別に自慢をしたいわけではないにせよ、どこかそういう概念に取り憑かれているような気がしてきちゃいました。
特に余暇の時間については、暇で退屈な時間に罪悪感を持っているような気がします。
休みがあったとして、ただ休んでいることがダメ人間に思えてしまう。
仕事とは違う何か充実した経験をするべき、交友関係を持つべき。
そういう感覚がいくらかあります。
↑ コロナ禍では外出できないという言い訳が自分の中でできたのですが。
仕事は忙しいもの、余暇は充実すべきもの。
そういう思い込みが僕の中にあり、その上で仕事に余裕を持ちたい自分、余暇にひきこもりたい自分もいるような気がします。
あくまで少し取り憑かれているから、アンチテーゼとして、その逆を目指そうとしているのかなと思いました。
何の罪悪感もなく、自然とその逆を歩めているわけではないのだなと思いました。
以上です。
今日も最高の一日を!