【1079個目】
こんにちは! 研究者せしおです。
哲学者の國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」(新潮文庫)を読んでいます。
今回で最終回とします。
まずは、本の内容から。
そもそも、なぜ人は退屈するのか。
人間は生きていく中で、心になんらかの傷を負う。
忙しくしている間は、それらを忘れていることができる。
暇になった途端、過去の傷や後悔の念にとらわれる。
人は、刺激のない安定した状態を求めるが、暇になると過去の痛みを思い出す。
暇に慣れていないほど、暇に耐えられなくなる。
刺激がないことに耐えられないのは、刺激がなくなると痛みの記憶が顔を出すからではないか。
それが退屈の正体ではないか。
というのが、著者の仮説のようです。
最後に本文をそのまま引用します。
退屈とどう向き合って生きていくかという問いはあくまでも自分に関わる問いである。
しかし、退屈と向き合う生を生きていけるようになった人間は、おそらく、自分ではなく、他人に関わる事柄を思考することができるようになる。
↑ ゴールデンウィークは、暇と向き合うことができるかもしれない貴重な時間?!
ここからは僕の話。
忙しくしていると忘れられていることがある。
それは暇になると顔を出す。
確かにそのようなことはあるかもしれません。
僕の中でも退屈が大丈夫な時期と苦手な時期とがあるような気がします。
その違いが何なのか、考えたこともなかったですが、1つのヒントになるような気がしました。
暇と向き合い、退屈と向き合って、自分と向き合う。
本書によると、その先に他者と向き合う余裕みたいなものが生まれてくるとか、こないとか。
総じて、読みやすくてわかりやすく、それでいて難解な一冊でした。
お付き合い、ありがとうございました。
以上です。
今日も最高の一日を!